TL!

twitter の TimeLine のこと。

TLは自分が造るものであって【個人的な場】と捉える人と、TLは複数のフォロー/フォロワーによって構築される【公共的な場】と捉える人、大きく2パターンに分かれている。多分。

tweetを連投したり、批判的な意見をtweetした後に「TL荒らしごめんなさい。」っていうのはTLを後者で捉えているのだと思うし、挨拶したりするのも多少そういった意識があるのだと思う。


これはこれでとても人間らしく素敵なことだと感じる。


TLを【個人的な場】と考えるひとは、例えば気に入らないtweetがあるならばその元となる人をリムーブなりブロックなりすればいいし、そもそも見なければいい、という理論展開。これは正論なのだけど、フォローしている人のtweetの8割は好きだけど2割、たまに嫌味なことを言うのがなあ…みたいなことはとても多くて、こうした人を排除していくとフォローできる人は限りなく少なくなってくる。実際これで満足している人もいるので、だからどうのこうの、というのは無い。

でも、こうして造り上げたTLは、しばらくは快適なのだけど、趣味趣向や価値観が近いだけの人間ばかり集めているせいもあって実はすごく退屈にも感じる。(僕の場合は、ですけど)

たぶんTLは複数の人間が関わっている以上、公共性は絶対に無くならないと思っていて、その中で各自がそれぞれのルールを持っている訳だから【気を使う】というのは自然なことだと思うのです。


でもこの【気を使う】ってことは難しい。


今までにも多くのSNSで人気者になった人を見てきたけれど、交友関係を広げすぎて身動きが取れなくなりヤメていってしまった人はすごく多い。身動きというか[自ら課したルールを守りきれなくなってヤメる]というほうが正しいのかも知れない。

せっかく人気者になれるだけの資質があるのに…関わっていなくても遠巻きでみて楽しんでいるファンもいるのに残念だなって思う。

人気者は得てして律儀だったりするものだから【気を使いすぎる】んだろうね。とてもいい奴なのに、システム上、いい奴で居続けることができなくなる、これがとても残念に感じる。

こういうとき僕は、twitterなんだからもっと気楽にいこうよ。そんなにがんばるなよ。自分で自分の首を締めるなよ。って思ったりしながらも何も発せずにみてます。傍観者万歳。


そんなこんなで僕はお気遣い発言や挨拶はあまりしないというか、気づけば@もあまり飛ばさないようになってしまいました。理由は、TLが【公共的な場】と捉えていて、そんな中で【気を使う】のは面倒というか苦手なので、アニメでいうところのモブキャラというか、NPC(ノンプレイヤーキャラ)がいいなあって思っているから。

ネット上のコミュで疲れるくらいなら始めからやらないほうがいいし、自分のルールでやって、それでも同意してくれる人とだけ繋がっていればいいやってスタンスに落ち着いています。いつ変わるかわからないけれど、まあ今は。

僕って、人間らしくて素敵だなって、わかっているのに面倒だったりビビリが勝ってしまっていっさい行動を起こさないどうしようも無いヤツだな…くらいに自虐ってたりします。