努力とは!

これみた。
http://alfalfalfa.com/archives/2390903.html


努力とは何か?
広辞苑によると「目標実現のために心身を労してつとめること」


前に触れたエントリだと努力が報われる、報われないっていうのが軸の話だったので答えは人それぞれだしそんなことで悩むのは馬鹿らしいって結論。
努力!http://d.hatena.ne.jp/dgwgb/20101025/1288036299



誰しも一度は考えるけれど途中で諦める、大いなる宇宙の法則に挑みつづけるホーキング博士の著書に影響されたので、今回は努力をもう少し考察してみる。

単純に広辞苑から抜粋すれば 目標実現=時間×努力 なのかしら。だとすると 努力=目標実現÷時間 とできなくもない。

極めて単純で強引な解釈をすれば、努力を定数化できるかどうかは目標実現できなければまずダメで、できたとしてその結果を時間でわったものが努力になる、ということ。

努力を労働時給に置き換えるとわかりやすい 労働時給=予算達成(利益分配給与)÷労働時間 みたいなもので、出来高払いの労働時給みたいなものかな。これで私の時給安すぎ!って気づいたあなたは社畜ですね、おめでとうございます、冗談です。



今回ピンときたのは、努力とは努める力であって =何かしらのエネルギー ということ。車でいう推進力のようなイメージ。

車=人間としても推進力を得るには燃料が必要なわけで、その燃料が動機や目的なのかなと。時給が高いことは一般的に労働意欲もあがるので燃料になりえるだろうけれど、単純に報酬がすべてという話でもなさそう。平たく言えば「人を可能性へ近づける推進力」かな。

野球の試合に勝つための努力、就職するための努力、ニートが独り立ちするための努力、アニメ2期をみたいがための努力、ある女性を口説くための努力、こういう幅広い分野に共通する努力というエネルギーを数式で現すには人間の行動をひとつひとつ遡って分析していけば案外わかりそう。


将来的に遺伝子によって努力できる人とできない人、固有の努力エネルギー値が定まっているとかわかれば、それこそ「無駄な努力」と「必要な努力」の線引きがはっきりできてきて、ある種、人間行動の究極の効率化(横着)が可能になりそう。裏をかえせば「努力すればできるかも」という可能性は一切なくなって、生まれ持った素質がすべての究極の差別社会にもなる。これはおそろしい。



(結論)努力は可能性へのエネルギー。自分の可能性なんて知らないほうが幸せ。

努力しない生き方 (集英社新書)

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おおお…雀鬼さんじゃないですか…