渚のカヲルくん!

何を血迷ったのか、ちょっと昔に書いた文章があったので再掲してみる。以下



突然ですが、生と死をベースに人間の優越について考察します。


前提として僕は死ぬのはこわいし望んではいません。
死とは誰にでも来るものだし順番に違いはあれど人間にとってとても平等なものと捉えています。


さて、死の瞬間を±0としたとき、仮に死後の世界があってそこが+だとすると、生である現在は−となります。

+と−の世界は逆のケースでも一緒で、そのとき生における精神的な優越度は死の瞬間である±0からどれだけ遠いか、いわゆる時間軸の距離で決まると仮定します。

すると必然、年齢が若いほどに優越だという結論に至ります。しかしここで年齢階級別自殺割合を参照すると、もっとも死に近く優越からかけ離れているはずの65〜69歳の自殺率が全年齢階級別で 3.0% と一番低く、最も優越であるはずの10〜14歳の 9.7% を大きく下回っているという矛盾が生じます。

ここで生じる矛盾とは、先の仮定からすると、死(±0)に近づくことによる恐怖、死から遠いことの安心感、という対立軸からみて死から遠い(若い)ほうが死に近い(老い)より優越なはずである、という論理に対してです。

このことは、年令を重ねるにつれ経験を積むことで死の恐怖に対し個体として免疫ができて強くなった可能性や、老衰による自然死や衰えからの病死を考える必要がない状況であっても、直近の不安やストレスで生より死を選択してしまう若者も多く、それはすなわち生と死に対して年齢別の精神的優越は計れない、という結論に至ると思うのです。




なんだろうこれ・・・我ながら不完全燃焼な文章・・・

たぶん暇すぎて、宗教とか生死について考えてるときに思いついたことを書き殴った感じかしら。


最後の一文がエヴァのカヲルくんが言う”生と死は同義”みたいな感じだし言いたかったことはだいたいそんな感じだったと思う(推測



twitter もそうだけど日記とかって【誰かに見てもらいたい】っていう自己承認欲求もあるにはあるけれど、最終的には過去の自分を後になってニヤニヤしながらみる自己満足(オナヌズム)のほうが大きいのです。僕のばあいはですけど。


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KAWORU (角川文庫)

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「会社はいいね・・・会社は考えるゆとりを無くしてくれる・・・社畜を生み出す文化の極みだよ・・・」