ナンパ師の理論!

僕は精神論がきらいです。

カッコつけてるだとかスカしてるだとか言われても別によいのですが、個人的に気合と根性がうんぬんかんぬんの”頑張れ教”の被害者だと勝手に思っているので精神論全般的にきらいです。

しかし努力はします。努力はするけれど、検証した結果、無駄だなーと思う努力はしたくありません。


まあこの”検証した結果”っていうところが人それぞれであり厄介なポイントでもあります。



一つの例として、仕事とナンパとで例えてみます。

ナンパのうまい人は往々にしてこう言います「数だよ数、おとしたかったら数をこなすことだよ」と。です、たしかに。

ナンパを楽しむ楽しまないはひとまずさておき、ナンパのゴール、最終目的はおそらくセックスだと思うのです。男は狩人ですしおすし。

いっぽう仕事は、といえば綺麗事をぬかせば最終的には報酬でありお金だと思うのです。



この時点で一つの仮説ができます。



セックスしたければ数多くナンパせよ、お金が欲しければ仕事の数をこなせよ、という仮説。


まあそうなのかなー、だいたいあってる的な印象を受けます。




では現実社会はどうか?


世の中の男性はみんなセックスしたいはず(男は狩人説)ですが、ナンパしまくっているでしょうか?

否。全体で見ればナンパが得意な人、実践している人はマイノリティです。


社会人はお金がほしいはずですが、仕事しまくっているでしょうか?

否。全体で見れば仕事で成功している人、稼ぎまくっている人はマイノリティです。




なぜそうしないのか?と考えると簡単で、リスクとプライオリティの問題だと思うのです。

(この辺りは個個人それぞれなので細かく例を出さなくてもわかると判断して割愛)



このリスクとプライオリティが冒頭でいうところのそれぞれが異なる検証のベースになるのですね。ああ厄介だ。



例えば、働き盛りで出世欲旺盛な上司は仕事がプライオリティNo,1だったりすると、趣味がプライオリティNo,1の人にたいして「なんで全力で仕事しないの?給料なんて簡単に増やせるのに」とか平気で言うわけです。すると「あーでたよナンパ師の理論」みたいになります。

例えば、ワタミの社長だったりすると「僕は起業資金の300万円貯めるために1年間佐川で死ぬほど働いた」とか平気で言うわけです。すると「あーでたよナンパ師の理論」みたいになります。えっ?あ、コレは違うか。まあでも似たようなものかと。




安っぽいプライドとかでなく、そこまでしてセックスしたい、お金欲しい、という人のほうが少ないというだけの話なわけです。

マジョリティは方法論を知っていても100%成功するとは限らないところには時間も情熱もかけたくない、というか保守的なわけですよね。とりあえず暮らせていればおkっていう。



雇われでそこまで頑張るくらいなら最初から起業するぜベイベー、でも怖くてできないよハニー、ゼロサム社会バンザイ\(^o^)/っていう社畜ですみません。