茶番!

ふみとおおおおお!

べつに BLOOD-C の茶番(chaban)のことではありません。



さいきん思うのは世の中茶番ばかりだなー、と。本気とか純粋とか果たして存在しているのかしら?ってくらいもう茶番でありふれている。仕事、恋愛、人と関わるもの全般。

言い換えれば「茶番こそが真実」とも言えるわけで、そうなってくるともう茶番という言葉の存在意義がそもそもアレ。

何かあって憤っているとか、病んでるというわけでも何でもなく、ただそう思う。要するに暇なのです。

知識が増えて知的好奇心がくすぐられることが減ってくると、あとは単純作業としての日常しかないような気がして、つまらなくなってしまう。日常につまるつまらないはないだろという話ではなく、日々の輝きが弱いというか、機械的な日常を送るだけ、みたいな。虚無感。


社畜スキルでもあげて紛らわせるしかないかなあ。

DROP THE BASS!

さいきん「自分まじめだなー」とか思うわけですよ、突然かつ脈絡ないですけど。


仕事してるのです。笑っちゃうくらいまじめに。

しばらくのあいだまじめに労働したしそろそろいいかなー、抜こうかなー、とかぼんやり。



さて、最近、ダブステップ(英語: dubstep 2000年代前半にイギリスのロンドンで誕生したエレクトロニック・ダンス・ミュージックの一種。非常に太いベース音と、リバーブのかかったドラムパターン、細切れにされたサンプル音、時折挿入されるボーカルなどを特徴とする。)を聴くことがふえてきた。

なんなのだろう、よくわからないけれど bandsound → rock → hardcore → hiphop → mixturer → R&B → dance → electronica → anison → dubstep とこう、主で聴くサイクル的な移り変わりがありまして、そこに追加された感じ。

ska とか punk とか reggae とかは(雑食なので)オールジャンル聴くのだけど、連続で聴いていると苦痛になるというか、itunes でジャンル分けして聴くほどでない、みたいな。最近はもうジャンル分け自体がむつかしいのだけど管理上で一応わけてる。




で、ダブステップですが僕はダブステップというか、SKRILLEX (本名:SONNY MOORE) の音が好きです。

彼のサウンド構成はあんがい歌謡曲チックで、Aメロ、Bメロ、サビ、あとリピート、的なオーソドックスなつくり。

Aメロに比較的キャッチーなhiphopサンプリングのようなメロディー
Bメロにあげるためのアッパーなつなぎ、ラップMCとか高まるメロディー



DROP THE BASS!!!」



のかけ声とともにBASS SOUNDドカーン、しかも不協和音スレスレっていう。

全曲そうじゃないけれどだいたいこのパターン、でも気持ちいい。




fatboyslim とか Markronson とか daftpunk とかを好きで聴いている人なら共通したものを感じると思うのです。
ノセかたがうまいのですよね、アゲかたというか、メリハリの部分がすごい。
あと各パート部分が手抜きしていない、各パートのループだけで1曲できそうなレベルなのにその3曲を1曲にまとめちゃったっていう。

オリジナルがすでにリミックスなのですよ、たぶん。

パーリィDJだなー



そういうわけで音選びのセンスがよいので当然曲のチョイスセンス、リミックスセンスもすごくて、こんなのノーマン・クック以来じゃね?的な感動だったりしてます。(観測範囲狭いのもあります)

これとか

原曲も良曲



売れ線、メジャーどころ


各パートがハシャギかたからもみてわかりやすい曲


パーリィDJはこういうイメージ(リア充
Skrillex - Rock n Roll (Will Take You to the Mountain)



たのしそうだなーいいなー






ちょっと違うけど流行ものついでに ystk など

この曲は中華風のイントロがツボです。あくまで ystksound だけです。




売れているものには相応の理由があるのよなー。

Piano Tribute to Skrillex

Piano Tribute to Skrillex

もしもし原宿(通常盤)

もしもし原宿(通常盤)

 

ナンパ師の理論!

僕は精神論がきらいです。

カッコつけてるだとかスカしてるだとか言われても別によいのですが、個人的に気合と根性がうんぬんかんぬんの”頑張れ教”の被害者だと勝手に思っているので精神論全般的にきらいです。

しかし努力はします。努力はするけれど、検証した結果、無駄だなーと思う努力はしたくありません。


まあこの”検証した結果”っていうところが人それぞれであり厄介なポイントでもあります。



一つの例として、仕事とナンパとで例えてみます。

ナンパのうまい人は往々にしてこう言います「数だよ数、おとしたかったら数をこなすことだよ」と。です、たしかに。

ナンパを楽しむ楽しまないはひとまずさておき、ナンパのゴール、最終目的はおそらくセックスだと思うのです。男は狩人ですしおすし。

いっぽう仕事は、といえば綺麗事をぬかせば最終的には報酬でありお金だと思うのです。



この時点で一つの仮説ができます。



セックスしたければ数多くナンパせよ、お金が欲しければ仕事の数をこなせよ、という仮説。


まあそうなのかなー、だいたいあってる的な印象を受けます。




では現実社会はどうか?


世の中の男性はみんなセックスしたいはず(男は狩人説)ですが、ナンパしまくっているでしょうか?

否。全体で見ればナンパが得意な人、実践している人はマイノリティです。


社会人はお金がほしいはずですが、仕事しまくっているでしょうか?

否。全体で見れば仕事で成功している人、稼ぎまくっている人はマイノリティです。




なぜそうしないのか?と考えると簡単で、リスクとプライオリティの問題だと思うのです。

(この辺りは個個人それぞれなので細かく例を出さなくてもわかると判断して割愛)



このリスクとプライオリティが冒頭でいうところのそれぞれが異なる検証のベースになるのですね。ああ厄介だ。



例えば、働き盛りで出世欲旺盛な上司は仕事がプライオリティNo,1だったりすると、趣味がプライオリティNo,1の人にたいして「なんで全力で仕事しないの?給料なんて簡単に増やせるのに」とか平気で言うわけです。すると「あーでたよナンパ師の理論」みたいになります。

例えば、ワタミの社長だったりすると「僕は起業資金の300万円貯めるために1年間佐川で死ぬほど働いた」とか平気で言うわけです。すると「あーでたよナンパ師の理論」みたいになります。えっ?あ、コレは違うか。まあでも似たようなものかと。




安っぽいプライドとかでなく、そこまでしてセックスしたい、お金欲しい、という人のほうが少ないというだけの話なわけです。

マジョリティは方法論を知っていても100%成功するとは限らないところには時間も情熱もかけたくない、というか保守的なわけですよね。とりあえず暮らせていればおkっていう。



雇われでそこまで頑張るくらいなら最初から起業するぜベイベー、でも怖くてできないよハニー、ゼロサム社会バンザイ\(^o^)/っていう社畜ですみません。

歌うたいのBLOOD-C!

声優はなぜ歌うのか?というスレッドみたのだけど、僕が思っていた考えが見当たらなかった(多分)ので忘れないうちに書く。


もともと単独の音が集まって人為的なタイミングでもって旋律を奏でるのが音楽だと思っていて、例えば弦楽器でいえばギター、ベース、ヴァイオリンとか音質の違うものがたくさんある。

バンドで考えると、声、ギター、ベース、ドラム、キーボードが一般的。



なにが言いたいのかっていうと、要するに声も楽器の一部だと思うのです。初音ミクがもう証明しちゃっているけれど、人間とシンセの差なんてそのうち無くなるでしょうと。

では歌手はなにで選ぶのか?



歌唱力?ルックス?


そんな楽器(歌手)はもう飽き飽きしているのです。だからCDが売れないのさ(多分)

他にも声を中心に音楽を構成することにもうそろそろ飽きてきてる、とか、誰が歌っても聴いたことあるような声、とか、もうなんていうか歌唱力(音程とかコブシてきなの)とかじつは関係ないんじゃないの?って思ってる。

ルックスなんてもっとどうでもいい。




音楽を構成する複数の楽器のひとつである「声」

この「声」の種類、声色というのか、声質なのかわからないのでとりまヴォイスとしておく。人と違う珍しいヴォイスの持ち主こそ本来、歌手になるべきなのだと思う。才能というか資質の部分。

hiphopだと他にもフロウとか差別化要素はあるけど、洋楽だと全般的にヴォイス重視みたいな認識になってる、ソースはないけれど。




こう書いてくると自ずとわかってくるわけで、珍ヴォイスの宝庫である声優界は、じつは歌手の宝庫なんじゃないの?っていう。

歌唱力を補って余りあるヴォイスがあれば魅力的な音楽はいくらでもできちゃうのよね。




声帯の整形で声を変える、とかもそのうち流行るのかな・・・




わろた



映画たのしみ

金融資本主義の腹筋崩壊!

今年ももう12日生きた。

あいかわらずダラダラ生きています。



さて、ユーロちゃんが崩壊しそうですね。はやくしちゃいなよ!って思っている対岸の火事派の僕ですが、単にユーロがなくなるだけじゃないっぽいのがwktkしてる理由のひとつです。



資本主義というと広すぎるので金融資本主義で調べてみるとよくわかるのですが、ザックリいうと現在の世の中は金貸し、いわゆる資本家が牛耳っている訳です。資本を持つものと持たざるもので確定的に明らかな身分の違いができています。日本にいると麻痺して気づきにくいけれど。

アメリカなどはかろうじてアメリカンドリーム(死語になりつつあるけれど)という名の契機の平等、いわゆるチャンスは与えていたりしますが、その他の国ではほとんど生まれ持った資本力で一生が決まる、という士農工商エタヒニン的身分制度が確立してます。カーストみたいな。




で、通貨統合っていうのは資本家にとっていろいろと都合がいいのですな。マネーを動かす事で富を得る事に味を占め、またその手法に長けている卑しい人たちは物々交換的な原始的労働を蔑み、それらは奴隷の仕事、自分たちは特権階級であり違う、という選民思想に近い思考で動いています。なもんで「いまさら肉体労働やりたくなーい、楽して儲けたーい」というのが本音な訳です。いくら世のため、人のため、といい善行っぽいことをしてる人たちも資本をすべて投げ出さないかぎり、本音はそんなもんです。身近の社長とかみたらわかると思う。大抵ろくでもないし。



なんていうか歴史は繰り返してるっていうのが結論で、民主主義の仮面を被った金融資本主義による支配構造が白日の下にさらされてきていて、ネットの普及もあって知恵をつけた奴隷である僕みたいな庶民がクーデターを起こしつつある、っていうのがここ最近の流れだと思うのです。インターネッツ万歳。




ユダヤ支配とかはどうでもよくて、一回全世界規模の革命を起こして再スタートしないかなー、っていう淡い願望があります。




革命とは価値の逆転。




貯めても減価しない「マネー」を使用しているかぎり、「マネー」は手を変え品を変え権力になってしまう、もう同じことがおきるのはわかっているので「マネー」の力を弱めればいいんじゃね?っていう。

ただ持っていると腐ってしまう、植物や果実、動物、人間だってそういうものなのだから、「マネー」も同じ仕組みにして貯蓄できないようにしたらいいと思う。誰しも貯金は最低限しかできない、物々交換の補助としての価値しか持たせない「マネー」を稼ぎ、必要なぶんだけ消費する、過剰な収入は無意味。その日暮らしっちゃその日暮らしだけれど、案外まっとうな世の中になりそうな気がしなくもない。



こういう考えはたぶん懐古主義、保守派っていわれるのだろうね。まあなんでもいい。






「金は天下の回りもの」って無駄遣いするときに頭に浮かぶ、すごく好きな言葉なのだけれど、昔の人は真理に気づいていたのかしら。

奇跡の価値は?

エヴァーのタイトルでこんなのありました。内容覚えてないけど・・・。


ふと考えたことがあって、近頃というか前からっぽいけど”奇跡”という言葉が溢れていて、よく目にする。
これって”奇跡”がなんだかやっすいなーと思うのです。

九死に一生を得る、という言葉は1割に当選した、くらいのもので確率からイメージしやすい。

では”奇跡”の生還、となると何割の当選率なのかしら?ということ。奇跡の定義が知りたいってこと。




人類が誕生した地球は「奇跡の星」であるということは学者以外の一般人はほぼ同調すると思われ、ということはここから逆算していけばいいのかな、と。ザックリね。

で調べてみると・・宇宙に星は凡そ300ガイ個(億→兆→京→ガイ…0が22個つく) 


ガイwwwwwwwww300ガイ分の1wwwwwwwwwwwwwwwww想像できないwwwwwwwwwwwwww




この確率ならたしかに奇跡という定義はみたしてそうですね・・・わろた。



じゃあ次はアレ、年末ジャンボ宝くじとか、当たったら”奇跡”っていっても誰も否定しなそう。
で調べてみると・・2007年1等2億円が1000万分の1

あれ?意外とこれビンゴじゃないの?

その下の100万分の1の確率にどういうのがあるか調べてみると

・同じ月に2度妊娠する確率
・不倫した人妻の双子の子供の父親がそれぞれ違う確率

なんで妊娠ばっかりwwwwwwwwwwwwwwほとんどアメリカwwwwwwwwwwwwwwwwwww





まじめに調べてると東北の災害(地震津波)とかって100万分の1くらいなのだそう。
災害対策は100万分の1を想定しなければいけない、想定外ではない、とかいうくらいなので”奇跡”は想定していないと思う。

これ違う。



やっぱり1000万分の1くらいかなあ。

これくらいの確率での事象だったら”奇跡”とよんでもいいのかな・・・って思ってます。勝手に。



冒頭の「奇跡の生還」で例えると、1000万人都市に超巨大フレアを直撃させて全員死亡のなか一人だけ生き残った、くらいの確率。2人生き残っちゃうとそれ奇跡ちゃうちゃう、想定内、みたいな。





【結論】まあ、なんでもいいのだけど。

T/P/P!

T/P/Pについて(無意味な検索避け


wsj(米保守派)ではアメリカのフォード自動車など反対派のデモが発生していることや、日本の一次産業:農業は厳しいかもしれないがそれ以上に輸出における恩恵が大きく最大の勝者は日本になるのではないか?みたいな記事がどうのこうのと聞きました。

反対派は日本を参加させるための謀略だとか罠だとか、情報は交錯してます。



TPPってどうなのでしょう?個人的には正直蓋を開けてみないとと言うか、よーいドン!ではじめてみないとなんともよくわからない気がします。




大方の意見は

賛成派→メリット・デメリット両方あるがメリットが勝る
反対派→デメリットしかない

という感じ。まあ、この比較方法だとデメリットは確実だから保守的な人間であれば反対するに決まってるので反対させたいための比較方法なので意に介さない。





焦点は自主関税権の大幅な撤廃と参加国の商習慣の統一であって、それをおこなうことでのメリットとデメリットをマクロとミクロそれぞれ分けて検証することだと思うのだけれど、報道はどれもミクロに焦点が当たりすぎていて大局的な視点や日本の国際的な立ち位置の重要性が欠如してるように感じる。

もちろん日本政府はなんやかんやいっても優秀というか手堅いから、アメリカの属国(自虐)としての国益を考えて参加は既定事項なのだけど、やがてくる選挙対策のために「加入するしか道はない、我々としても苦渋の選択」的な下手な演技をしているのだと勝手に思ってます。



条項が定まってもいない状態で常に最悪の想定から検証しても意味が無いというか、適当な推測は言わせておけ、という感じ。


決められたルールで戦って最終的に勝てば良いわけで、そもそもルールづくりが下手な日本としてはつくってもらったルールにのっかって、当初は不利なルールであってもそれを逆手にとって覆してやがて逆転すればいいだけの話。過去を見てもそういう歴史だしね。





関税撤廃によって犠牲を被るであろう方々には申し訳ないけれど、こういう不条理な転換期みたいのはいつの時代でもあって、歴史をみれば何度も繰り返されてきた訳で、むしろその他大勢にとっては価値観が変わる転換期こそ今までになかったようなチャンスも増える訳で、僕は後者に属する側なので冷静にみていきたいなーと。


むしろ日本の商習慣は一回すべて壊して再構築したほうが長期的にみてもいいんじゃないの?とか、そもそも可能性を感じない時代に育った世代からしたら、単なる早い者勝ちで既得権を掴んでいる層が煮え湯を飲まされるのは爽快なのかもしれません(暗黒微笑





それと、なんちゃらショックとかギリシャとか続いて資本主義が行き詰まっているのは確かで、これぐらい大きな転換をどんどんしていかないと資本主義自体存続が危ういよ、やばいよ、中国・ロシアに覇権とられちゃうよ、的なジャイアンの焦りを感じなくもないのです。資本主義の終末は案外、もう近いところまできてるのかもしれない。



いずれおとずれるであろう世界政府樹立(陰謀論)のためには、自主関税権っていう国を国たらしめる権利は邪魔だし、商習慣は共通していたほうが話が早いわけで、ある意味「廃藩置県」的に国の独自性や枠組みを少し弱めてフラットにしておこうぜ的な狙いを感じています。言いだしっぺはジャイアンだし。






守るものがない僕はどんな不利な条件でも、もういっそのこと「やっちゃいなよ」「壊しちゃえよ」派です。




絶対運命黙示録